私は戦後すぐに歓楽街で流行したカフェー建築が大好きで関東エリアのほとんどのカフェー建築を見てきました。70年以上前の建築なのでほとんど残っておらず、また色街に集中して建築されたため、ほとんど情報もありません。
ところが写真家・飯田鉄先生の街歩き隊と北千住を撮影していたところ、素晴らしいカフェー建築を発見してしまい、声が震えるほどの感動を覚えました。
カフェー建築の写真は
木村聡著
「赤線跡を歩く」
にたくさんありますので興味ある方はご覧になるといいでしょう。
千住は江戸時代から日光街道の宿場町として発達し、それに付随して千住遊郭がうまれ、戦後は千住カフェー街が売防法が施行される昭和33年まで存在していました。
この当時の様子は五木寛之の「風に吹かれて」の中で生き生きと語られています。
千住カフェー街は日光街道の西側にあたる千住柳町にありました。2012年ごろ、私はフィールドワークを実施し、当時の建築物はほとんど残っていないことを確認していました。
ところが...
日光街道・千住寿町交差点から南東方向の路地を入ったら....
ややっ? 丸窓...カフェー建築の特徴のひとつです。そしてさらに近づくと...
豆タイルの円柱とアールのついた庇...間違いないっ!ビンゴだ!
美しい...うっとり(このあたりで血圧あがりまくり!)
戸袋もおしゃれそうだけど、柳で見えない...
さらにぶっとんだのは、隣の物件....
今度はピンクだっつ! もう、鼻血がでそうっ!
でも、なんだかおかしい。
カフェー建築があったのは、日光街道の西側の千住柳町で、ここは千住3丁目です。場所が違う...
それに壁やタイルが新しすぎる....
帰宅してGoogle先生に聞きまくったところ、赤い方の建物は地元の建築家のなかだえりさんという方がスナックの跡をコツコツ手作りで改造し、奈可多”楼(なかだろう)と名づけアトリエとして使っているのでした。
完成したのが2014年5月だそうです。
わかってしまえば、なーんだ、ということなのですが、この完成度、美しさ、カフェー建築への並々ならぬ愛情が感じられます。
本当にいいものを見せてもらいました。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
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