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先週は体調が悪かったので、暑かったこともあり、ずっと家でぐったりしていました。ぐったりしているうちにわかったことが二つあったので書いておこうと思います。

体調なのですが、喉の痛みです。新型コロナを疑ったのですが、結果はそれではなく、おそらくは終日、クーラーや扇風機の風に当たっていたので、そちらのせいだと思われます。

無職に休日は必要か?

定年・早期退職すると「毎日が日曜日」と言われます。自分でも毎日好きなことをやっているのだから休日のような気力を充填するような時間は必要ないと思っていました。ところが今回の件で、無職でも休日は必要だと思いました。

その日はお昼を過ぎて喉の痛みに気づきました。薬を飲んだのですが、痛みのせいで集中できず、やろうと思っていたことができません。こんな時は自分自身に

  • 何もしない宣言!(笑)

を行い、フトンを敷いてネットフリックスをインストールしたスマホと共にもぐり込んだのでした。

その時に感じたのは、「何もしないことへの解放感」でした。ワクワクしながらフトンにもぐり込みました。そしてそれからはずっと何の罪悪感もなしに数日間、ネットフリックスを見続けているうちに体調は回復したのでした。

仕事をしている時であれば、病気をリラックスの好機と前向きにとらえる行動として理解できるのですが、今の自分は仕事のストレスから解放されています。

なぜなの?ストレスなんかないはずなのに。

よくよく考えてみれば、今の自分は単に仕事をしていないだけで、自分に課したタスクを数多く抱えているのです。

  • 今年からはじめた野菜畑のチェックと収穫
  • ちょっとだけ小遣い稼ぎになるYoutube動画のシナリオ作成
  • ブログに投稿する書評を書くための読書
  • 前から勉強したかった人工知能のUdemy講座
  • いずれはKindleで出版したい著作の下書き
  • 今夏の登山計画のための交通機関、山小屋の予約
  • 投資家気取りと妻からおちょくられている米国企業の業績調査など

これらは会社の仕事として割り当てられたものではなく、自分自身で決めた好きなことでもあるので、ストレスがかかっているとは全く考えていませんでした。しかし、そうでなければフトンにもぐり込んだ時の解放感の説明がつきません。

何かをやろうとした時に、それが他者からの指示か自分の意思かに関係なく多かれ少なかれストレスはかかるものだ、というのが私の結論です。

なので、今後は「何もしない日」をつくろうと考えました。いつとるかなのですが、サラリーマンは5日働いて2日休むの繰り返しですが、私の場合はサラリーマンよりはるかにストレスが少ないので月に1日か2日で十分だと思います。

努力の末、獲得した無職の日々を、ストレスで無駄にしてはもったいないので。

することがなくなったら?

退職するとすることがなくなって暇で死にそうになる、とよく言われました。退職して9ヶ月の自分は今のところやりたいことが多過ぎで大変です。しかし、今後人生は何年も続きます。フトンの中で「することがなくなったらどうしようか?」と考えてみました。

「することがない」という言葉には次の二つの意味が含まれます

  • 文字通りすることがなくなってきた
  • 何かをする「気力」がなくなってきた

前者の場合は、何も自分でやりたいことがなくなったら、人からすべきことを指示してもらえればいいので、再び働こうと考えています。

後者を考えたときに、思い出したのは鬱病歴のある部下を持った時の経験です。

しばらくは元気に働いていたのですが、半年くらい経ったのち、会社に来なくなりました。電話もメールもつながりません。様子がわからないので、自宅に行ってみることにしました。

呼び鈴を押すと青白い顔をした彼が出てきました。部屋の中に入れてもらったのですが、その時の衝撃を今でも覚えています。秋晴れのいい天気だったのに部屋は雨戸を締め切ったままでした。リビングにフトンが敷いてあり、そこを中心に生活しているようでした。コンビニの食べ残しがあったからです。それを除けは部屋の中は片付けられていました。

フトンにへたりこんで病状を話してくれました。今日はお昼過ぎに飲んだ薬のおかげで、私のことを部屋まで迎え入れることができたが、調子が悪いと人が訪ねてきてもフトンから全く出ることができないと言っていました。

私は彼の話にうなづきながら強烈な無力感を感じていました。

他のどんな病気や怪我であっても、どんな精神状態であっても朝になれば外の空気を得たいと思うものです。しかし、彼の病気は、彼から生命力の根源とも言える「気力」を奪ってしまいました。もはや、私の理解、説得、同情で彼を動かすことや、彼自身の意志で何とかなる問題ではないのだと直感しました。

私がもし、彼のようになってしまったら、彼がしたように精神科に行きます。

そして病院に行く気力すらなくなってしまったら、おそらく家族が病院に連れて行くと思います。

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