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先日、TVで興味深いドキュメンタリーをやっていました。それは三重県に住む40代の女性を追った番組です。

この女性は数年前にウィルス性の脳炎にかかり、とても残酷な後遺症になりました。

それは記憶が7秒しか持たず、それ以前のことはほぼすべて忘却されてしまうという症状です。

人は五感から得た情報を頭の中にある海馬というところで短い時間だけ記憶します。海馬では記憶を、忘れるべきもの、意識しておくもの、ずっと覚えておくべきもの(長期記憶)に振り分けます。彼女は脳炎により海馬が委縮してしまったために7秒より前の出来事を記憶できなくなったのです。

ただ、病気になる前に覚えたことや、体を使って繰り返し繰り返し練習したことは覚えられるので、日常会話や車の運転などは可能です。

この番組に惹きつけられたのは二つの理由があります。


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一つは数百万人に一人しかかからない難病に罹っている彼女の前向きさと明るさです。いつもニコニコしていて、よく言われる大阪のおばちゃんみたいな感じです。私が同じ状況なら落ち込んでしまい、とてもTV番組などに出演しないでしょう。

彼女はふだんの生活でメモ帳を手放しません。インタビュアーと話している間も、視線をインタビュアーをメモ帳の間に往復させながら速記者のように会話を記録していきます。そうしないとインタビューの目的はもちろん、インタビュアーの名前さえ忘れてしまうのです。

彼女は毎日寝る前に2時間かけてメモ帳の内容をノートに整理しています。7年間のメモ帳とノートの量は膨大でほとんど一つの部屋を占有するほどです。
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そうまでして記録し続ける理由は何か?

日々おこったささやかなこと、友人たちとの何気ない会話。それらは人生そのものだと彼女は言うのです。健常者はそれらを脳に記憶していきますが、彼女は脳の代わりに、出来事をペンとメモ帳で記録していっているのです。

私たちは10秒前、10分前のことは覚えていられますが、10年前、20年前のことは覚えていられません。そういう意味では彼女との差は時間の長さという程度の差でしかないのかもしれません。7秒以前の人生の出来事が欠落していくことと、10年前の人生が記憶から抜け落ちていくことに本質的な差はないと考えられます。

東日本大震災では流されたアルバムや写真の修復に多くのボランティアが支援しました。そこまで多くの労力をかけるのは、写真に残された記録がその人の人生そのものなのだからだと思います。

このドキュメンタリーを見ながら、記憶は人生そのもので、すべてを記憶することができないから、人は写真やメモなどの媒体で記録し続け、それらを愛おしむのだと思いました。
それがこの番組に惹きつけられた二つめの理由です。

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