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今日の記事のタイトルはいつもと微妙にというか、だいぶ違います。

そう、今回はフィルムカメラで撮ってみました。

私がデジカメを始めた2004年は、フィルムカメラの方が優勢で商業カメラマンですらフィルムを使っていて、カメラ雑誌なんかでも

デジカメ = 邪道

って感じでした(笑)。



30年以上前に中学の暗室でフィルム現像と焼き付けを教わりました。赤いライトの下で像が徐々に浮かび上がってくるとワクワクするのですが、当時のお小遣いではとても賄いきれず徐々に暗室から離れていきました。

そんな経験があったので、ランニングコストがゼロで保管が楽なデジカメが絶対主流になると確信しました。

果たしてそのとおりになりましたが、デジタル派の私ですら一抹の寂しさを感じることがあります。

街の中をうろうろしながら、あと10コマしかないなぁ、あっちを撮って、こっちを撮るのをやめようかなんて考えながら、これしかないな、と思いつつシャッターをおとすのが何とも楽しいのです♪。そしてバッシャというシャッター音と巻き上げ音。機械音と振動が体に伝わってくるのがいいのです。

そんな気分を楽しみたくなると本棚の奥からフィルムカメラを取り出して撮りに行くのです。

撮影地に行く前にまずはヨド吉でフィルム調達・・・

しばらく使わない間にあまりにも値段があがっているのでぶったまげました。
NATURA 1600を買おうと思ったのですが、あまりにも高いのでやめました。よく考えたらピーカンで撮るのだからISO100でも十分だと思い、幾分価格の安いFUJICOLOR 100にしました。

 

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4 thoughts on “フイルムカメラ KLASSE Sで船橋・海神新地跡を歩く (1/2)

  1. 昔、10カットしか撮れないペンタ6×7にフジクローム入れて撮っていた頃は、一枚一枚をとても大事に撮ってました。貧乏だったので(今もですが)35㎜でもモードラ使わず一枚一枚慎重に、これぞっていうカットに集中力を注ぎ込んでました。対して今の自分は、つくづくおざなりに撮ってるなと感じます。
    もちろんデジカメは便利だし、全紙とかにプリントしない限り、画質の差なんて分からないくらい技術革新が進んでいるんだと思いますが、あえてフィルムで撮る、というのは非常に有意義な事だと思います。なんか原点に立ち返るというか。
    私は六畳一間のボロアパートで暗室カーテンしてモノクロの現像とプリントやってましたが、うっかり流し台の下水管を錆びだらけにして、玄関を床上浸水させたなんて事もありましたよ。(笑)
    あの頃は現像液をこっそりドブに流してたけど、産業廃棄物処理法違反だわ環境破壊だわ、まぁ、若気の至りですね。

    1. たまにフィルムを使いたくなるのは、確実に「モノ」として残るところに魅力を感じるのかもしれません。デジタルだとプリントしないと写真でなくてPC上のデータにすぎませんから。
      重みがあって手触りがあるものに安心感をおぼえているのかもしれない、なんて考えています。

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