遅ればせながら見てきました。シン・ゴジラ...
既にネットでいろいろな評がでていますが、この映画を見て私は何度も涙がポロポロでてしまいました。あんまりそういう反応をする人は聞いたことがなかったので、涙ポロポロしたポイントを感想としてメモしておきました。
ちなみにうちの嫁さんは「つまらんかった...」という寂しい感想でした。人の感じ方は天と地ほどの違いがあることの好例だと思います(涙)。
以下、ネタバレ含みます。
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① 日本は過去、楽観主義により300万人もの国民を殺した
と副長官が緊張感のない総理に言い寄るシーンです。ネットではゴジラは東日本大震災を象徴しているとの論調が支配的ですが、それだけではなく、第二次世界大戦や明治維新といった国難全般を表現しているのではないかと思いました。
② そういう場合、我が国では大統領が決断をする。貴国では誰が決断するのだ?
と米国の外交官が日本の役人に言い放つ言葉です。これは海外から過去何十年もステレオタイプに言われてきたことであり、ともすれば日本のダメな一面だと考えられてきた点です。ところが映画では総理や主要閣僚が死んだ後、生き残ったちょっと残念な感じの農水大臣が臨時総理に就くのですが、なんの問題もなく対応がすすんでゆくのです。庵野監督は日本に対するネガティブなメッセージに対し、我々は皆で力を合わせて危機に対応してきて、それが我々のやり方なのだと反論したかったのだと思いました。
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③ 総理、そろそろ好きなようにやってみませんか?
日本にゴジラに対処する能力がないと諸外国に足元を見られ、ついに東京に上陸したゴジラを熱核攻撃することを国連決議されてしまう、悔し涙の残念臨時総理。
この心象は私の父や祖父の世代が大戦後に抱いた気持ちに似ているのではないかと思いました。本当に日本だけが悪いのか?すべて日本のせいなのか?
また、私自身は福島原発の事件で、抱いた無力感を思い出しました。原発といっても要は水蒸気を吐き出す巨大な釜です。私たちは釜一つコントロールできない無力な国民なのだと。
残念臨時総理は省庁横串オタク会議が推進する冷却作戦にすべてをかけ、アメリカを裏切るという賭けに出ます。
④ 我々は何度も立ち上がってきたのだ
最後のシーンです。本当にこういったのかはよく覚えていません(ほかの3つも同じ)が、そういう意味のことを主人公が言ったと思います。そこで涙ドボドボ...
この映画、リアルなCGや今までのゴジラ映画と違うオチから様々な解釈が可能だと思うのですが、ある種、古典的な映画なんじゃないかと考えました。「古典的」というよりは「神話的」と言ってもいいかもしれません。太古の昔から何度も繰り返し列島を襲う国難に対して、我々日本人はどのように対応してきたかをゴジラと現代人に置き換えて表現していると思ったのです。